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沖縄の貧困と本土の貧困の違い【時間と内部】
こんにちは だいごです。   今日は、子どもの貧困について考えていること、 思っていることを紹介していきたいと思います

貧困とは?

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まず、子どもの貧困を考えるにあたり 「貧困」について紹介します。 貧困とは、 「貧しくて生活に困っていること」 「大切なものが欠けていること」 などと表現されます。 そして、そう表現される貧困も 大きく2つに分けることができます。 「絶対的貧困」「相対的貧困」です。 絶対的貧困とは、 人間として最低限の生存を維持することが 困難な状態のことです。 世界的に見て、貧困とは この状態のことを指していることが 多いと思います。 アフリカやアジアなどの 映像でよく目にする状態です。 日本でいう、生存権の 最低限度の生活を営む権利に通じるものがあります。 一方、相対的貧困とは 生活している国における文化水準 生活水準戸を比較して苦しい状態のことです。 それぞれ例を挙げると 絶対的貧困は ・家がない ・身につける衣服がない ・食べるものがない 相対的貧困は(日本で) ・経済的理由で高校進学ができない ・経済的理由で塾に通えない ・経済的理由で部活動の道具が買えない という風になります。 日本や沖縄で叫ばれている 子どもの貧困の多くは 相対的貧困のことを指します。 次に、沖縄県とそれ以外の本土と よばれる地域の貧困について考えていきます。

本土(沖縄県外)での貧困

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まず、本土で貧困が始まったのはいつからか、 ご存知ですか?? 高度経済成長期! 違います、 その時代は、教科書にもよく出てくる 3種の神器などが出てきていて 多くの人が中流階級でした。 では、いつでしょうか? 正解は、 バブル崩壊後からだと言われています。 1991年から始まったとされている 景気後退のことです。 このころから、本土では 中流階級とその下の階級との 差が開いていきました。 次に沖縄を紹介します。 本土との違いを考えながら読んでみてください。

沖縄の貧困

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さて、先ほどは本土の貧困についてお聞きしましたが、 次は沖縄の貧困について聞かせて下さい。 沖縄の貧困はいつから始まったでしょうか?? これは簡単です。 そう、沖縄戦後からです。 沖縄戦の終わりには諸説ありますが 今回は、多く知られている 1945年とさせてください。 しかし、沖縄は貧困だと言いますが この時代の沖縄を考えると、 果たして貧困だったのでしょうか? 当時の沖縄にはさほど金持ちは おらず、みんなの所得が 低い状態だったそうです。 本土では中流階級という言葉が 出てきましたが、沖縄は多くが 下流階級だったんです。 そのような状態で経済的な理由からくる 貧困がはたしてあったのでしょうか? 経済的な貧困は周囲の経済状況と 比較して起こる問題なので 当時の沖縄は貧困とは言えないかもしれません。

本土と沖縄の違い

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ここまで、本土の貧困と沖縄の貧困について 紹介してきましたがなにか 気づいて点はありましたか? ここで、触れたいのは2つの貧困の 時間経過内部状況 です。

時間経過

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本土は貧困が現れてから 現在まで、何年経っていますか? 2018 - 1991 = 27 約30年が経っています。 沖縄はどうでしょう? 2018 - 1945 = 73 約70年以上が経っています。 このことをもう少し深く考えて欲しいのです。 ・本土は約30年 ・沖縄は約70年 この時間経過の差を 世代に合わせて考えてみてください。 本土と沖縄の経過時間の中で 子どもの世代がいくつ 生れているのか考えて下さい。 本土ではまだ、貧困の影響を受けている 子どもたちは2世代目に当たります。 本土の貧困が始まった約30年前の 子どもたちがちょうど現在は 子どもを育てる親になっているわけです。 では、沖縄はどうでしょうか? 約70年です。 70年前に子どもだった人が 親になり、 子どもが生まれ その子どもが親になり、 子どもが生まれ その子どもが親になり、 そして、現在貧困に苦しんでいるのは 4世代目になっています。 この差は沖縄で子どもの貧困を 考えていく上では非常に重要に なってくると思っています。

内部状況

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2世代の関わりのある本土の貧困は、親の経済状況を 生活保護や国、地方の補助でどうにか 変えることができると思います。 なぜなら、働けない、働いていない 親の背中を1代しか知らないからです。 その環境を、変えることは 難しいですが、まだ、 ハローワークや技術指導等で 何とかなるはずです。 違う見方をすれば そのような、補助や助けを差し伸べて どのくらいの人が変われるのか そこも重要だと感じています。 一方、沖縄の貧困はどうか まず、当時の子どもを考えましょう。 戦後とはいえ、子どもたちには 2つの違うの経験をしている子がいます。 ・戦争を経験し、 目の前で人の死(殺害や傷によるもの)を目の当たりにした子 ・戦争を経験したものの、 人の死を目の当たりにしていない子 この2つで特に貧困に かかわりがあるのが、1つ目の 死を目の当たりした子どもたちです。 聞いたことがあるとは思いますが これらの当時子どもだった人の中には PTSD(心的外傷後ストレス障害)を 抱えている人がいます。 そして、PTSDを抱えて 立派に働くことができるでしょうか? できる人もいるとは思いますが できない人もいます。 当然だと思います。 人が目の前で殺される。 死んでいく姿。 を見て、平気で働く神経に なれるわけがありません。 ここに、沖縄の貧困の根深さが あると思っています。 先ほども出てきましたがそんな苦しみを抱えた人が 大人になり、子どもを産んで ※PTSDなどの影響で しっかりと働くことのできない人です。 その子どもが果たして 立派に働くことができるでしょうか? 難しいところがあると思います。 子どもの身近な手本である親が 働かないで子どもが働くか? 蛙の子は蛙とはよく言ったもので 子どもは親の背中を見て 成長していきます。 そうして、上手く働けない親の 子ども達も同じ生活水準のまま 同じ働き方をしていきます。 その、子どもが成長して 子どもを授かり、同じ現象が起こります。 そうして、 繰り返されてあるのが 現在の沖縄の子どもの貧困なんです。 また、このように 経済的な貧困が生まれたのは 先ほど挙げた、戦争によって 死を見ていない人も関わっています。 この人たちは PTSDを抱えることはなく 働くことができています。 そこで、生れた所得による 生活水準の差が今日の沖縄の 貧困に影響を与えていると思います。

まとめ

以上が、沖縄の貧困、本土の貧困でした。 以上の事を踏まえながら、 沖縄県に根強く残る貧困について どのようにアクションを起こしていくのか 課題になっています。 単に、職業体験をさせる 資格指導、技術の取得を行わせる 本土で行われている対策では 効果がでるのか疑問です。 そもそも、貧困の程度、質、内容が 異なっているからです。 私自身もまだまだ、模索中ですが、 いかにして、子どもたちを 受益者にしてあげられるのか。 その問いを常に自分に ぶつけ続けていきたいです。

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